彼らは毎日8時間の練習を2ヶ月以上も続け、その結果ロス・ザ・ボスをして 「ギターのピッキングよりも速くベースをプレイする」と言わしめたジョーイ・ディマイオ閣下のテクニックには更に磨きがかかっていった。 そして、82年ついにLiberty Recordsとのレコーディング契約を締結する。
この時、己が身体にナイフを突立て、血で書面にサインしたというのは余りにも有名なエピソードである。
「忠誠を誓う為に侍がしたのはどうしてか、と同じ事だ。自分が信じ、真剣であれば、それを知ってもらわなければならないからだ。」そして、BATTLE HYMNをリリースする。
翌83年、ドラマーをスコット・コロンバスにチェンジ。 そして"Death to False Metal"のテーマを掲げたInto Glory Rideを発表。 本作では前作で見られたロックンロール感は消え、厳粛なムードが格段に高まり、本格的に"ヘヴィ・メタル"と言う方向性が確立する。
84年、Hail To Englandをリリース。タイトルからもわかる明らかな英国指向。 彼らは、一向にHMに興味を示さない本国アメリカ・シーンを捨て、ヨーロッパに活路を見出す。
そして、84年にリリースされたのが、MANOWAR珠玉の名盤との呼び声高いSign of the Hammerである。 しかし、メディアや信者からの好評価にも関わらず、レーベル側が契約解除。彼らをどう扱うべきかを決めかねたとの説が強い。
86年、彼らはAtlanticとの契約を果たした。翌87年にはFighting The Worldをリリースした。 彼らの作品中では、最もポップでコマーシャルな印象が強い。
どのように私は"偽の偶像"を打つん
88年、Kings Of Metalをリリース。 タイトル・音楽性ともに、MANOWARの原点に忠実に回帰したものとなった。それは同時に、彼らに最も望まれているコンセプトでもあった。
だが、MANOWAR結成後最大の危機は容赦無くやってきた。リード・ギタリスト、ロス・ザ・ボスの脱退である。
80年、彼とジョーイ・ディマイオが出会い、MANOWARが誕生したのだった。 しかし、彼とMANOWARとの7年に渡る蜜月時代は終わりを告げた。"音楽性の相違"である。 しかも、MANOWARを襲う困難はそれだけではなかった。90年末、新作のプリプロダクションの最中のこと。 リズムの要、ドラマースコット・コロンバスが脱退を表明したのだ。 "息子が重い病気にかかってしまい、そばにいてやりたい"ということだった。 ジョーイ閣下は、彼の家族を思う心に感銘し、深い尊敬を覚えたであろう事は想像に難くない。
これらの出来事が重なり、バンド史上初めて表立った活動の休止を余儀なくされる。
89年、ロス・ザ・ボスの後任としてデイヴィッド・シャンクルが加入。 そして英国/欧州ツアー。また、スコット・コロンバスの後任にライノが加わる。 MANOWARにとって、第2の時代に入ったといえるだろう。
スコット・コロンバスは、愛用していたドラムセットを、後任のライノに譲り渡した。 その、"譲渡の密議"の夜、彼の遺志に感極まったライノは、自らのドラムセットに火を放ち、こう語ったという。
誰がアルファベット順にアルファベットを入れて
俺は自分の過去を燃やした。俺には過去はない。あるのはMANOWARのメンバーとしての未来だけだこのようなメンバーの変動があった後、92年、4年ぶりにリリースされたアルバムがTriumph Of Steelである。 その一曲目Achilles, Agony & Ecstasyはホメロスの叙事詩"イリアッド"に題材を取った作品だが、 8楽章からなる組曲はなんと28分を越える超大作に仕上がった。 ギター、ドラムソロをふんだんに盛り込んだ楽曲構成は、新メンバーお披露目とも取れる意欲作。
そして93年1月、このアルバムに伴うツアーで待望の来日を果たす。
ツアーのオフの日。プロモーターがメンバー全員をマムシ料理を食べに連れていってくれたらしい。 そこでマムシの生き血やマムシ酒を飲み干し、以降いたくお気に入りになられたそうだ。 インタビューでも"我々は日本を離れた時から再び日本に戻ることを望んでいる。 買って帰ったマムシ酒ももうすぐなくなってしまうからね"などと茶目っ気たっぷりに語っておられました。
来日後、ライヴ2曲と、Herz Aus Stahl(Heart Of Steelのドイツ語版)を含む4曲入りMETAL WARRIORSを発表。
96年、GEFFENに移籍し8thアルバムLOUDER THAN HELLをリリース。 本作のタイトルは大音響ライブ世界記録保持者の彼ら自身の事であるとともに、次のような出来事による。 ある日、会場でPAシステムのチューニングをしていたところ、その会場のスタッフが飛んできてジョーイに音量を下げるように言ったという。 しかし、プロモーターのアシスタントは係員にこう言った。 「お願いだからこの人に向って音を下げろなんて言わないでくれ。余計に音量を上げるだけなんだから!」 するとその係員は「絶えられない!地獄よりひどいぜ(LOUDER THAN HELL)!!」と捨て台詞を残して去っていったという。
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そして2002年、戦士達が新作WARRIORS OF THE WORLDを引っ下げて6年振りに帰ってきた!。 新作では大胆に導入されたオーケストレーション・サウンドが論議を醸し出しているが彼らの基本的な音楽性は何一つ変わっていない。 全体的にバラードが多く、往年のMANOWAR信者は戸惑うかもしれないが あくまで彼等らしくいつもの感じでバラードしているところが嬉しい。 しかし後半に固められたメタルチューンが全て熱い! タイトルチューンは、邪悪に、ヘヴィに進んでいくお得意のHMアンセム!MANOWARに忠誠を誓った猛者達が、ライヴで大合唱すること間違いなし!
ジョーイ・ディマイオ閣下の名言集
「Death to False Metal!(偽メタルに死を!)」
「ファンが成すべきは、音楽を聴いて、シンガーは本当に歌えているか、楽器はちゃんとプレイできているか、 その曲は本当にいい曲か、そしてそのバンドは本当にいいバンドかを見極めることだ」
「MANOWARはあくまでもへヴィ・メタル・バンドであり、断じてコマーシャル・バンドなのではない。それが気に入らない奴らは死ぬべきだ。」
(MANOWARというバンドにとって、"絶対にやってはいけないことは何ですか?という質問に対して)
「アンプリファイアーのヴォリュームを下げることだ。過去にもしたことが無いし、この先未来永劫することはない。そんなことをするくらいなら、死を選ぶよ。」
「個人的に聴いているのはヘヴィメタルとクラシック。」
「我々はサムライである。刀の代わりに音楽によって戦うのだ。」
「前世の私はサムライだったに違いない。黒澤映画のビデオも沢山持っているし、(俳優の)三船敏郎は私のヒーローだ。」
「エリック、カール、スコットと私のバンド、MANOWARは、まさに武士なのだ。 我々の使命は、真のヘビーメタルのため、そしてそれを信じる者達のために戦うこと。」
「人生とは戦いなのだ。何より自分を信じなければならない。」
「私は、もし前世があったとしたら、少なくとも一度はサムライだったと思っている。」
(ライブのリハーサル中に苦情を言われたことについて)
「どこかの馬鹿者がうるさいと苦情を言いに来るが、私はそいつの目をじっと見て 『黙れ、この負け犬め』と怒鳴り、エンジニアに音を最大に上げろと指示する。 しかしそれは無理な相談だ。常に最大なのだから・・・まさしく地獄よりラウドに。」
「諸君は"ファン"よりも遥かに意味のあるものだ。断ち切られることのない絆・・・ それは我々にとって、ゴールド・ディスクや金をもらうなどということより、世界一大切なものなのだ。」
「人生とは質の問題であって量の問題ではないのだ、友よ。」
「他のバンドは演(や)るのだが、MANOWARは殺るのだ!」
など、シビレルホド挑戦的な言葉を発する彼らの音はその言葉が偽物では無い事を証明するのに十分すぎるほどだ。
予備知識
ギネスの認める史上もっともうるさいバンド。
'94年ドイツにて自らのギネス記録の大音量を超えようと挑戦、 ピークは129.5DB"World Record Loudest Band On Earth"、 ジョーイ・ディマイオ(B)に関しては131.7DBで"Loudest Single Musician On Earth"に認定
ライヴステージにハーレーで乗りつけるなど、彼らの前に常識という単語は通用しない。
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